革命のファンファーレを読んで。
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西野亮廣さんの革命のファンファーレを呼んだ。色んなところでみなさん感想を書かれている。俺も酷く感動しちまったけど、あえて本の中身にはあまり触れず、読みながら常に考えていた、俺の家族の事、かあちゃんの事を少し。
母ちゃんの事を、
俺は「信用」していた。
革命のファンファーレで書かれていた、
西野さんがタレントとして、信用を勝ち取るためにしてい事。
嘘をつかないという事。それは、
・意思を明確に表現する
・意思を表現出来る環境を作る
と同義であるという。すげー納得。
で、ちょこんと考えると、
それは母ちゃんが、息子を守る為にしていてくれた事だった。
ざっくり説明すると、25年位前、俺と兄貴は登校拒否と呼ばれる子どもだった。
学校に行くことは当たり前の事だったから、
今でいうと、不登校だめじゃん。という感じで、我々家族に対してご近所さんが炎上していた。何故行かない・行けないのかと考える前に、みなさん炎上なさっていた。母も、子どもを不登校にしても平気な親として叩かれていた。
バブル崩壊直前・崩壊後の不安定な世の中ので、各家庭には、積木崩しが大流行。老も若きもしんどい時代だった。
家も、会社も、学校も、荒れていた。
で、家も色々あり、兄貴と俺、揃って不登校だった。母は、兄貴と俺の不登校をみて、はじめは無理にでも学校に行かせようとしていた。何故か?
常識的に、学校へは行くものだから。
学校へ行く準備をするだけで、頭痛と吐き気で死にそうになっていた兄貴や俺を、死にそうになっていた子どもを、母は、無理に送り出そうとしていた。で、ある日気づいた。
あ、このままじゃあたし、学校に行かせようとするだけで、子どもを殺しちゃう。
「気づいてよかった。」と、母は言う。
もの凄い葛藤があったそうだ。
とりあえず母は、兄と俺を学校に行かせるのを止めた。行かなくてもいい環境を、提供してくれた。俺ら兄弟が学校に行かなくてもいいんだと、その意思を表明する環境を、家のなかに提供・実現した。俺達兄弟も、学校に行くことが、当たり前だと思っていたから、母ちゃんの、常識のアップデートに、その気持ちに救われた。それは親が子を守るって意味で、当たり前の行動だったのだけど。
学校に行かせないで、
子どもを甘やかしてる親。
として、母はバッシングを受けた。でも、
そのころの母は回り近所の声なんてどうでもよくなっていて、自分と子どもに今一番何が必要か、考えて、勉強して、人と会って、努力していた。
すると、実は不登校の親達は沢山いて、同じ様に悩んでいる事をが分かってきた。なら。
みんなと、同志として情報を共有しよう。そしてコミュニティを作ろう。
と、思い至った。世の中に「不登校」がメディアとしてようやく認知され始めた時代に、俺ら家族は生きていた。
携帯もない、PCも普及してない時代。
「不登校をもつ親の会」を作るとき、とりああえず「地域の広報紙」に、不登校のお子さんのおかあさん達、私も、子どもが不登校です。みなさんは、子どもに、どう接していますか?私と、お話してみませんか?と言う見出で、家の住所を書いて乗せていた。
親たちのコミュニケーション。 そこから始まった、学校とは別の、不登校の、子ども達のコミュニケーションスペース。
「不登校」を、待ち合わせ場所にしたのだ。
今では「フリースクール」等、色々な「場所」が、様々な人たちに運営されたりしてたりする。
俺の人生の出発点は、母が作ってくれた、不登校の子ども同士のコミュニケーションスペースだった。
現状の理解・分析・行動。
知識・常識のアップデート。
嘘をつかないこと。
常識に囚われないこと。
前に進むために、子どもをそだてる為に、
母に必要だったのは、
勇気じゃなく情報。知る努力。
母ちゃんは、俺や兄貴の為に、
これを全てやってくれていた。
まさに、子どもをから、俺ら兄弟だけでなく、そこに集う親達、子ども達から、
信用を勝ち取っていた。
…なんと、革命のファンファーレには、
母ちゃんが不登校だった俺を育ててくれた過程とほぼ同じ事が、超分かりやすく、ビジネス書として書かれていた。すげー衝撃。
人間が今、楽しく生きていくためには何が必要なのか?全部書いてあると思った。
長くなりましたが、ちらかった文書ですが、
西野亮廣さんの革命のファンファーレの感想文でございました。
本当におもしろいです。俺の人生の原点まで洗い出されちゃいました。皆さん必読。
ブログ始めた。
とりあえず初めて見た。
とりとめもなく、世界がやかましいぜ。
身近な事を書いて行きます。